のぞみの広場

哲学はおもちゃ屋で1000円で手に入る

No.13
希学園 国語科講師 山﨑 信之亮
哲学はおもちゃ屋で1000円で手に入る

先日ある飲食店で独り寂しく夜更けを迎えていたときのことです。相変わらず、何故未だに独り身かを真剣に悩む私の前で、唐突に女性Aがルービックキューブを始めたのです。


若人諸君、ルービックキューブをご存じでしょうか。3×3×3の立方体で6面に54個の正方形があり、各面の色をそろえる遊び。一昔前に一世を風靡したアレです。


この女性A、なかなか速い。
最初は「お主なかなかやるな」と斜に構えていた私ですが、そのうちにあまりの速さに思わず奥義を伝授して頂こうと思ったわけです。

「失礼ですが、何らかの心得をお持ちと見えます。もし良ければ小生にお教え願えませんか」
「よかろう。といっても奥義など無いのですよ。自分が持っていきたいところに持っていきたい面をもってゆく、ただそれを繰り返すのみです」
「しかしですよ、それを繰り返すと天文学的な回数になるでしょう。また、一つの面を移動させると他の面にも影響するからそう簡単なものではないでしょう」
「なかなか良いところに気付く。しかし、あなたが天文学的な数値だとおもっているものは実は有限なのですよ」
「といいますと」
「たかだか3の3乗の立方体、全ての動かし方は確かに数は多いが有限です。無限ではない」
「そうですね」
「それを無限と思うか有限と思うかで全てが変わるのです」
「仰る意味が今ひとつ…」
「つまりこういう事です。あなたは無限だと思っているから半ば諦めている。しかし、私は最も多くてもどのくらいの回数になるかを知っているから地図を描けるわけです。闇雲な素人は永遠に出来ないし、やろうともしない。恐れて手を出さないわけですが、一度このゲームがどういう世界であり、どの程度のものかというアウトライン(全体像)を知ればさほど怖くはない」
「なるほど」
Aは話しながらも立方体と戯れ続ける。目にも止まらぬ速さだ。


「さらにもう一つ話があって」
「なんでしょう」
「先ほど『自分が持っていきたいところに持っていきたい面をもってゆくだけだ』と申し上げたが」
「確かに。そう仰いました」
「そうはいっても『定石(=勝負事で、ある程度はこうなったならばこうする、と決まっている形)』というものがある」
「囲碁のアレですか」
「自分の手元の初期状態が、自分が今まで経験したどの状態に似ているかを即時に判断し、とりあえず知っている形に持ってゆく。そこからは決まった手で進められる」
「なるほど、手持ちのパタンが多いとそこに近づけていけるので、 益々速くなるわけですか」
「その通り。素人は定石を知らない。知らないから闇雲に突き進む。ある程度定石に近づけて、小さな差を埋めるような戦い方になると一気に速くなるのですよ」


ここでAはあろうことか、失敗するのであった。
「があああああ…そう来たか」
「まさか、間違えられたのですか」
「そのまさかですよ。お店ごと爆破したいぐらい腹が立っています。あぁ!もう。」
エキセントリックな人だ。こんなところで命を危険に晒したくはない。
「店に腹を立てているわけでしょうか」
「いえ、自分に」
「と申しますと」
「私はゴールへの道筋が見えていたのですよ」
「はい」
「それには定石を二つ組み合わせるのが最も速かった。18手で完成でした、しかしそれは間違える確率が高い。ちなみに定石を使わずに迂回すると90手はかかるのですが、正確なのです」
「どちらをお使いになったのですか」
「最速手です。そして間違えた」
「それは仕方ないのではないでしょうか…」
「しかし間違えることがわかっていて最速を選んだ自分が腹立たしいのです。今は確かに非公式の練習です、間違えても良いのですが、間違えるぞと自身の脳内で警告が鳴っていたのにもかかわらず迂回しなかった。それは楽をしようという怠慢なので」


諸君。


仕事、それを無限と思っているか、有限と知っているかで人間の対応は変わってくる。まずはアウトライン、全体像を知ることが重要だ。
人間の恐怖というものは「未知」に由来するというのは有名な話である。なぜ死ぬのかがわからなかった時代の人々は死を恐れ、死んだらどこへゆくのかが最大の関心事であった。
仕事も同様である。仕事が全部でいくらあるか、それがわかっていれば優先順位もスケジュールも簡単に決定できるに違いない。途中確かに山場はあるものの、それを超えれば楽になることが分かっていれば超えることは容易である。


経験値も重要である。やったことがない仕事は手探りに進めてゆくしかないが、一度作ったことがあるもの、やったことが有ることに関して人間は圧倒的な速さを見せる。それは今までに経験したこととの共通点を探り、それとの些細な違いを埋めてゆくからに他ならない。そうして人は「プロ」となる。


遅くとも正確な方が良いか、それともある程度の正確さを犠牲にしてでも期限を守るか、これも重要な側面である。仕事は芸術作品ではないので、完璧な状態はたしかに望ましいが、余りに遅いと仕事にならないときもある。緊急手術を思い浮かべて欲しい。とりあえず縫い合わせなければ生存できない状況にある患者にとって最重要なのは、美しさよりも存命である。速さが重要、これもまた真理。しかし期限がなければ可能な限り完璧な状態にしたい、これもまた真理。そこでの完璧さと速さの天秤はまさしく臨機応変と言えよう。


ルービックキューブ、流行るわなあ。真理だもの。人生、仕事、そのものだもの。


そして、君らの仕事は勉強です。
6年生、残る数ヶ月でやらなければならないことの全体像は見えていますか?闇雲に目の前の課題をつぶしている『勉強素人』ではないよね?
入試問題を解くとき、どうしたらいいかわからない、なんて言ってないか?今まで解いた問題の中で近いものを思い出せ。必死で思い出せ。そして、その状態に持って行けるかどうか、その問題と似て非なるものではないか、しっかり確認する。
計算で焦って工夫したつもりが完全に失点へ一直線、そんなことはないか?そこは速さが重要なのか?正確さが重要なのか?テスト制限時間間際ならば速さ、初めならば正確さ。一瞬の判断、合否の分かれ目。


受験で学んでいることは、生きてゆく上で欠かせないこと。そしてそんなことがいっぱい詰まったゲームが1000円台で存在する現代は、すてきな時代なのかもしれません。

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