「母いすゞ」(作詞作曲 吉井和哉)という歌の中に次のような歌詞があります。
「『パトリオットミサイル』を『アプリコットミサイル』と言い間違えた」「『ナスカの地上絵』を『ナチスの地上絵』と言い間違えた」「『おひつのご飯』を『棺のご飯』と言い間違えた」
ほほえましい様子が目に浮かぶようですが、こうした「言い間違い」はその場で訂正できるので、まだ笑い話ですみます。しかし、「勘違い」「思い込み」という類いは他人に指摘されないと気づかないことが多く、単なるシャレですまされないことになります。
先日、友人と待ち合わせしていた喫茶店に約束の時間より早めに到着し、友人が来るのを待っていた時のことです。隣の席には若い男女のカップルが座っていました。男性の方が、最近、房総半島に行ってきたらしく、しきりにその話をしています。そのうち、「なめろう」という当地の郷土料理(鯵のたたきのような料理)がいかにおいしかったかを男性が力説し始めました。すると、それを遮るかのように女性が「私、それ嫌い」と言い放ちました。「鯵や生魚が苦手なのかな」と私が思っていると、その女性、「でも、名古屋だけの特産じゃなかったんだね」と付け加えたのです。私は、その瞬間(心の中で)「それ、『ういろう』だよ!」と突っ込んだのですが、驚いたのは男性の次の発言です。「へえ、名古屋にもあるんだ」ときました。「いやいやいや、名古屋には(たぶん)『なめろう』なんてないし、房総には『ういろう』なんてないから!」と声をかけて訂正したくなりましたが、小心者の私にそんなことができるはずもなく、もやもやした気持ちのまま二人が席を立つのを見送ったのです。あの二人は、今後、誰かの指摘がない限り、「なめろう」と「ういろう」を混同したまま生きていくのかもしれない、と思いながら。
また、以前、テレビである若い俳優がインタビューを受けているのを観ていた時のことです。その俳優が今後の抱負を訊かれて、「五臓六腑の活躍がしたい」と言い放ったのです。「それを言うなら八面六臂の活躍だろ!」私はテレビの前で容赦なく突っ込んだのですが、驚いたことに、インタビュアー、見事にスルーです。次の質問で頭がいっぱいだったのかもしれません。この俳優は、これからも、「五臓六腑の活躍」をした後、「八面六臂にしみわたる酒」を飲んでいくのかもしれない(意味がわからない人は辞書で調べてくださいね)と思い、ちょっぴり悲しくなりました。
かく言う私も、この「勘違い」の類いは少なからずあります。あれは、高校三年生の夏の日です。その頃、来るべき大学入試に向けて、英単語を「A」から順に片っ端に覚えていました(もちろんそんな覚え方はお勧めしません)。その日は「F」に入っていたのですが、ある綴りにきた時に私は思わず自分の目を疑いました。そこには「flea=ノミ」と書かれてあったのです。今まで「フリー」といえば「free」つまり「自由」「無料」としか思っていなかった私に「フリーマーケット」という英語が重くのしかかります。「フリーマーケット」とはノミの市場(flea market)、まさに「蚤の市」だったのです(もっとも、日本では、自由に参加できるという意味のfree marketとしての面が大きいようですが・・・)。さらに、今までの自分の愚かな行為が頭をよぎります。フリーマーケットに行って、「ここ全然自由じゃないじゃん!」と大声で言ってないだろうか? 言ったかもしれません。売り子の人に「フリーなんだから無料でちょうだいよ!」と言ってないだろうか? 言ったかもしれません。考えるだけで赤面モノです。その後、カタカナの「フリー」に過敏になり、「フリードリンク」という言葉を見ても、「無料? いやいや蚤が入っている飲み物かもしれないぞ」と妙に神経質になったりもしましたが、思い込みの怖さを思い知らされた、忘れられない経験となりました。
知っている、わかっていると思い込んでいる言葉こそ要注意です。勘違いや思い込みをして、それを誰にも指摘・訂正されずにそのまま生きていくなんてぞっとしませんか? 少なくとも私には耐えられません。
というわけで、みなさん、普段からこまめに辞書を引きましょう。