つい先日、希学園時代を共に過ごし、その後さっぱり連絡を取っていなかった友人から突然、会わないかと連絡があった。
友人はどのような人物になっているのだろう、と多少心配しつつ、しかし期待を胸に、待ち合わせ場所に向かった。
心配は杞憂に終わった。彼はまさしく「何も」変わらなかった。勿論物理的に、という話ではない。共に一生懸命勉強したあの日々。中学の進学先は違えど、再会を誓ったあの日。それから15年来、全く会わなかったことが、不思議なほど二人の距離を拡げなかった、いや、むしろ縮めこそしたと言えるかもしれない。
彼は先の地震で被害にあった東北地方に、国家公務員として派遣されていたという。法律を立案・運用する側として常に考えるのは「全体」である。しかし「全体」を成立させるためには「個」が疎かにされる、かといって「個」を考えに入れると判断がぶれる。その際支えとなるのは、同じ気持ちで生きている「だろう」仲間だった、と。
私は今のところ、彼ら「全体」を考える人々が安心して皆のために決断できるように「個」のことは任せろ、と言える毎日を送りたい、そういう気持ちで諸君に接しているつもりである。すこし、こそばゆいけれど。その分、自分に出来ない「全体」を決断する重責を負う彼らのことも、同じく全面的に信頼している。
諸君がどのような形で未来予想図を描いているかはわからない。そして、その未来予想図は変わらぬことの方が少ない。人生は偶然の連続。
しかし、変わらぬものがあります。
幼い日々、努力して夢を叶えたという自信。社会が自分に学ばせてくれた恩返しとしての、社会に対する責任感、使命感。
そして、何年経とうが、ほんの十数年あっていなかろうが、理屈抜きに信用できる仲間。
僕にとっての希学園や母校とは、そういうものをくれた場所です。諸君にとっても、そういう場所になれば幸いです。
日々の練習や訓練の苦しさや、眠気や、遊びたい気持ち、いろんな不満。
希で、受験で手に入れるものに比べて、それらがとてもとてもちっぽけに感じられて、もっともっと学びたい、と思ってくださることを祈って。