もう11月ですね。先日、私の愉快な息子が古文の助動詞をぶつぶつ呟きながら勉強していました(10月に中間考査があったのです)。それを聞いてなぜか『枕草子※』の一節を思い出してしまいました。寒い日だったのかもしれません。
「冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。」
何を言ってるのかわかりませんよね。。。ということで、分かりやすいように。
【冬は早朝(が良い)。雪が降った朝はいうまでもなく、(降りた)霜がとても白いときも、またそうでなくてもとても寒いときに、火などを急いでおこして、(廊下などを)炭を持って移動するのも、たいそう(冬の朝に)ふさわしい。昼になって、生暖かく(寒さが)だんだんとやわらいでいくと、火桶に入った炭火も白い灰が多くなっているのは(見た目が)よくない。】
昔ですから今よりも寒さは厳しかったのではと思うのですが、その寒さも季節の良さとして味わおうとしていたわけですね。
冬の早朝の寒さは確かに厳しいものですが、晴れの日の朝などは空の青さと相まって、寒さが心地よくシャキッとさせてくれるように感じます。
文学では、季節を描くことが多くあります。季節を感じることが、生活や人生に深く関わっているのです。たとえば皆さんもよく知っている俳句は、季語が必要ですよね。季節を詠み込むことがルールです。
季語の季節を分ける元となっている旧暦(昔の暦です)では10月(神無月)も11月(霜月)も冬です。今は10月でも「暑いな」と思う日があるくらいなので、「冬」なんてことは想像もつかないですね。「寒い」と感じるとビックリしてしまうくらいです。(……と一度は書いてみたのですが、校正をしている現在、寒いです! 今年は12月(師走)並の気温の日もあったりして、何十年ぶりの寒さだとか。今年は、「ビックリ」の方の年ですね。。。)
でも朝起きたときに暗いな、とか少し寒くなったな、とか感じることがあると思います。そういうささいなことで、季節の移り変わりを感じることができるのは素敵なことですよね。
文明の利器によって、寒さや暑さを感じる力は衰えているかもしれませんが、自然は常に季節を伝えてくれています。一日ごとのわずかな変化を見逃さず感じられる余裕を持つことも大切だと思います。
皆さんも、学校の行き帰りに道ばたの植物に目を向けてみたり、上を見上げて空や雲の色を見つめてみたりすることで視野を広げてみてはいかがでしょうか。
と、ハロウィンオレンジに染まる街を見ながら考えてみました。
※『枕草子』は平安時代に清少納言が記した随筆です。(文学史では基本中の基本です。)