皆さん、本当に日頃から頭を回転させて勉強していますか?
最近教室を巡回していて思うのが、寸暇を惜しんで宿題プリントに取り組もうとする優秀な方を目にしますが、一方で少しでも多く自分の好きな本を読もうとしたり、興味のある事を調べようとする人が減っている気がします。一分一秒を惜しんで勉強する。この言葉は大事だと思いますし否定はしません。しかし、この「勉強」という言葉が意味する事を、もう少し広い意味で捉える事も大切ではないでしょうか?
例えば、授業やテストで頭をフル回転させたあとのわずかなトイレ休憩の時間に頭を使う人がいますが、ろくに休憩もせず、次の時間に行われる授業で頭が回り続けますか? 私はできないと思います。少なくとも私には無理ですね。
本当にぐったりしている時に無理に詰め込んだら溢れ出します。
私なら横になって寝ます。
確かに、このわずかな時間内に宿題量が多い教科や取り組みに時間のかかる教科を早く仕上げたい気持ちはわかります。だからといってこの時間を、短絡的に宿題を取り組むことによって費やすことで、何かプラスになることがあるのでしょうか?
これでは、「勉強」ではなく必要に迫られて行う「作業」ですよね。どうしても何か取り組みたいのであれば、少しでも理解の足しになることをするべきではないですか。
実際理科などにも暗記単元がありますが、授業中に皆さん立派なノートを取っています。それを宿題に取り組む前に見直した事がありますか?そうやって見直しながらどんな話を聞いたか思い出す事により記憶は定着していきますよね。
また、授業中に不思議に思った事や聞きそびれて確認したい事を、資料集・図鑑・地図帳等の手段を用いて調べたりしていますか。自主的に調べたことは自然と定着しますよね。
のんびりと勉強しながら確実に消化していくことをもう少し探求する必要があると思います。
これが、「宿題=勉強」となっている人だと、ろくに調べもせずすぐに問題を解きたがり、わからないところは答えをすぐに参考にし、赤で埋めて行く…。そして復習テストでは点数が何とか取れるのですが、模擬試験はいうまでも無く…。目も当てられない惨劇ですよね。
このような細かなことの積み重ねで差が広がっていくのではないでしょうか。
きちんと学んだ情報を整理し準備してから取り組むと、短時間で宿題は終わります。一見遠回りに見える事でも近道なのですよね。
話は戻りますが、いくつかの参考書などを必要に応じて調べるスキルを身につければ理解はさらに深まっていきます。よく、テキストに全て情報が載っているべきだと主張する方もいますが、後にも先にもこのような教材は存在しません。何冊かの有効なものから必要な情報を探し求めて行く。これこそが勉強の基本であり大切なことではないでしょうか?
ひたすら暗記項目を丸暗記に走るのであれば、 塾に来て授業に参加する意味はありませんよね。
硬い内容の文で申し訳ないですが、この拙い文章から少しでも意味を汲み取ってくれる人がいる事を望みます。